あれこれ トミこれ事件簿(´▽`)

世の中のふとした難題をその場の勢いとノリだけで解決していく。

扇子の役割とは一体何なのか………?

 

 

 

 

 

 

 

目の前のおばさん2人組が物凄い勢いでしゃべり続けている。

 

電車の席について約10駅くらい過ぎただろうか?

いまだ、いっこうに止まる事のない無限の会話。扇子をパタパタと扇ぎ、もはや息をすることも忘れているのだろう。おばさん達は同時に、けのびでスタ―トし、1回も水面上に顔を浮かべることなく間もなく3000m付近のクイックターンに差し掛かろうとしている。

息継ぎすらもせずに、永遠と繰り返されていくその会話、あぁ言えば、こう返す、怒涛のエターナルチャットが今目の前で繰り広げられている。

 

一体何をそんなに話すことがあるのかと。

 

僕はとても気になっていた。

 

さっきからずっと、

 

あなたたちがずっと手に持っている、それ、

 

扇子。

 

 

 

そう、その扇子だ。会話が開始されたと同時にずっと煽り続けているその扇子の動きが明らかにおかしい。

会話に夢中になっているせいか、縦横無尽、四方八方と不自然に動くその手に持っている扇子の動きが気になってしょうがない。

 

時には、隣のおじさんを扇ぎ、時には見ず知らずの人間のバッグを扇ぎ、そして最終的にはお互いの腕や、靴を目掛けて扇ぎ続けられている。型にとらわれない自由奔放な動きを見せてくるその扇子はもはや、本来の役割を果たしていない。

 

何のために生まれてきた…おまえ…と、ふと疑問に思ってしまった。

こうなってしまっては、もうおしまいだ。

 

 ひたすら、扇子に感情移入してしまう。

 

そもそも扇子とはどんな使われ方をするのかを考えると、暑い状況の中でパタパタと扇ぎ自分の体温を少しでも下げ、 涼しくするような働きをする。という考えがスタンダードな考え方だ。

 

その点からみると、すでに、この扇子たちは役目を終えている。

もう、10駅程冷房の効いた電車の中にいるのだ。中はすいていて、もはや僕は寒いと感じるほどだ。決定的とも言えるのが、もはやおばさん達は自分を扇いでない。ブンブンと、ただ訳も分からず振り回してるだけだ。

 

 いや、俺今いる?僕が扇子だったら、真っ先にこう思うだろう。まるで、暇すぎるバイトに出勤してしまい、今か今かと早上がりを狙うアルバイトのトーンのように、「いや、俺今いる?」というだろう。

 

いらないよね?ねぇ?頼むよ、無駄な労働だよね?早く休ませて!もう1時間近く水も飲まないでブンブン振り回し続けられてるんだよ?人件費の無駄だよね?と心の底からすがって行くだろう。

 

 しかし、おばさん達は会話に夢中であるため、気にしない。「こないだ、章くんがね~」「まぁ~そう~」なんて会話のキャッチボールが繰り返されつつ、豪快に腕を振り下ろし、意味のない場所を永久的に扇ぎ続ける。もちろん残業代どころか、給料なんか出ない。恐るべしブラック企業、恐るべしおばさん。僕が扇子であれば、間違いなく扇子である事を辞めているだろう。

 

 

しかし、良く考えてみるとこの扇子。本来の使い方とは違うものの、使われていることは事実だ。おばさん達はこの扇子を別の使い方で使っているのでは?と疑問に思った。

思えばこの状況は、家にいてテレビを見てないのにテレビをつけていると言った状況によく似ている。

 

 

僕は、家に帰るとテレビをまず付ける。見なくても絶対つける。因みに電源を付けた後ずっと8を連打している。そしてテレビのチャンネルが8に変わったのを見届けてから、次の行動に移るのだ。これはもはや習慣であり、こうしないと落ち着かないのだ。

 

結果的にテレビは見られている訳でもなく、ずっと点けられっぱなしの状態である。僕は気づけば部屋に転がりスマホを眺め続け、テレビの内容等全く頭に入ってない。そして眠くなってきたら、電気と同時に点けられたテレビも消す。おやすみ。といったパターンだ。

 

このテレビの使われ方は、本来の使われ方としては絶対間違っているだろう。

しかし、僕は部屋でテレビが点いていることが当たり前の習慣になってしまっている。

見なくても、点いてるだけで安心感があるのだ。逆に点いていないと不安でしょうがない。

 

 

 

さて、扇子に話を戻そう。

このおばさん達の扇子の使い方はどうだろうか?

もはや、点けられっぱなしのテレビと同じような状況だ。

 では、このおばさん達も扇子を扇ぐという事に、安心感を抱いているのでは無いだろうか?おばさん達にとっては扇子を扇ぐことは当たり前の習慣であり、常に扇いでないと落ち着かないのだ。

 

 日常における生活において扇子は不可欠。ごはんを食べる時は扇子、風呂に入る時、洗濯する時も扇子、寝る時も扇子。こうして常に扇子が一緒にいることによって、おばさん達も安心感が得られるのでは無いだろうか?現に扇子を扇ぎながら会話を進めているおばさん達の表情は、安心感があり楽しそうに見える。

 

そして、

これは、一種のアクセサリーのようにも見える。自分にとって当たり前であり、そして自分を着飾るおしゃれアイテムのようにも見えてくる。

これは、時間なんてあまり見ないのだが、常に出かける時には腕時計をつけていると言った状況に近い。

 

 腕時計を、時計として扱うのでは無く、自分のおしゃれ度をグレードアップさせるアイテムとして扱っているのだ。

 

この扇子からもそのようなものが感じられる。

おばさん達のその、自信に満ち溢れた余裕な表情が物語る。さぁ。見なさい。これが本物のわたしよ。扇子を装備した美の限界突破、全てのステータスを美に振り分けたわたしの最終形態よ?あらぁ?あまりの美しさに言葉も出ないかしら?うふふ

 

なんて表情が伺える。

てか、マジで美しく見えてきた。

 

 なんだ?この圧倒的な美のステータスは?完全に誘惑されている。最初に見た時は、大声を上げながら、喋り続けているおばさん達に少しばかり苛立ちを覚えていたが、今は完全に魅了されている。誘われている?マジか。扇子。お前……

 

この現象は日本舞踊を踊る、舞妓さんが着物を身にまとい、扇子を広げながら美しく舞い踊る姿に魅了されていると言った現象に似ている。

 

凄すぎるぞ。扇子。

おまえ、しっかり仕事してんじゃねーか!!!

 

その後、おばさん達は会話を辞めることなく残り4駅くらい過ぎたところで降りていった。電車を出た後も相変わらず煽り続けられる扇子。

おばさん達の後ろ姿はあまりにも輝かしかった。まるで、浴衣を身にまとい今から彼氏と花火大会を見に行くの。と言った感じの光景がはっきりと目に浮かんだ。

 

 「そろそろ休憩下さい」

 

扇子からそんな声が聞こえた。

 

 

頑張れ、扇子。