あれこれ トミこれ事件簿(´▽`)

世の中のふとした難題をその場の勢いとノリだけで解決していく。

1+1=の深さ……

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「1+1=田んぼのた~」僕は、これの意味を知った時とても衝撃を受けた事を覚えている。

 

 

 

僕はこの意味を知るのに、だいぶ時間がかかった。

ある日、友人が何の前触れもなく僕に「1+1は~?」と聞いてきた。

僕は普通に2と答えたが、友人から返ってきた答えは「はい~残念~田んぼのた~」だった。

え?と首を傾げ、しばらく長考した結果、僕が思ったことはシンプルに、なんで?だった。2じゃね?だった。

思えばこの時、素直にこの疑問を友人にしっかりとぶつけるべきだった。

 

 

 

しかし、ケラケラと僕をあざ笑う友人、してやったぞと言わんばかりの傲慢な態度をとる友人に対しムっとし、己の無駄なプライドがそれを聞くことを許さなかった。

 

 

 

しばらくして、皆がこの「田んぼのた~」を使い始める。僕も流れに乗って、意味が全く分からないものの、この「田んぼた~」を使っていた。

1+1は~?に対して2と答えると、はい~田んぼのた~っと。そしてそれに対して皆、うわ~出た~それ。と言うのだが、何が「出た」のかさっぱり分からなかった。

田んぼのた~から、何が出たのか不思議でしょうがなかった。

 

 

 

もう我慢の限界だと、誰かに聞こうとしようとするが、時すでに遅かった。

周りの当たり前になっているこの状況が、そして意味が分からないものの自信満々でこれを使ってる自分の今の立場がそれを邪魔してくる。

 

 

今で言うとTwitterやインスタって何?EXILEって誰?っといった質問に似ている。もう完全に今さら?感が出ているのだ。

 

 

 

一体なぜ1+1が「田んぼのた」なのか、当時小学校低学年の僕は悩みを抱えていた。

 

 

そもそも、僕は、田んぼの田ではなく、田んぼの「た」だと思っていた。

そう、「た」だ。あかさたなの「た」ひらがなの「た」だ。

 

 

1+1=た。これは、当時の僕にとってはとてもミステリアスな問題だった。

普通に考えれば1+1=2だ。今まで義務教育として、常識としてそう習ってきた。しかし何故か今は1+1=が「た」になっている。

 

 

 

完全に頭が混乱していた。考えれば考るほど、泥沼におちいっていく。見れば見るほど分からなくなっていく謎の文字「た」。

いつまで経っても答えに辿りつけない僕は、やがて考えるのをやめる。

 

そして、1+1=「た」なんだとシンプルに考え始める。

1+1=2ではない。「た」だ。何かが崩れていった気がした。

 

2の時代はもう終わった。もう今の時代は1+1=「た」の時代なんだ、と脳に植えつけ始め、やがて1+1=「た」と常識的にとらえ始める。

 

そもそも、答えが「た」であれば、なぜわざわざ田んぼのた。と言うのか?シンプルに「た」で良くね?と、どんどん道が逸れていく。

 

語呂がいいだけだろと思っていた。

 

 

 そして、すっかり1+1=「た」に定着していった僕の頭。

 

 

しばらくして、友人がまた質問をしてくる。「1+1は?」僕は待ってましたと言わんばかりに答える。「田んぼのた!」

しかし、友人から返ってきた答えは「はい、残念2でした~」だった。

 

え?としばらく首をかしげながら長考した結果、僕が思ったことはシンプルに、何で?だった。「た」じゃね?だった。

 

世界がどうかしてんのかと思った。「た」になったり、「2」になったり、1+1が途端に分からなくなった。まさか、1+1でつまづくとは思わなかった。

 

もっと、証明や確率、連立方程式等と言ったものに苦戦するなら分かる。

1+1だ。ヤバいなんてものじゃ済まされない。このまま1+1すら分からないまま大人になってしまったら、周りからは凍てついた目で見られ続け、その視線を浴び続けた僕はやがて石になり「1+1が分からない人間」としてどっかの寺や、神社と言った観光スポットに石像として飾られることになるだろう。

 

観光客からは、指をさされ「あれが噂の1+1が分からない人間よ~」「うける~」と爆笑され続けながら生きていく事になってしまう。石化しているため、涙も流せず言い訳もできず、やがて飽きられた僕はハンマーかなんかで壊されて人生の最後を迎えるだろう。

 

 

 

流石に、これ以上は自分の人生に異常をきたすと思った僕は友人に訪ねる。

1+1=なぜ、田んぼのたなのか、そして2なのか?

 

すると、

思った以上に友人は丁寧に説明してくれた。1+1=漢字の田だと。

だから田んぼの田なんだと。

 

 

ようやく、この答えにたどり着いた僕は想像以上に感動していた。

すげぇ!と、算数が国語になった。という訳の分からない思考回路が、頭の中を駆け巡っていった。

この時から僕は、1+1=の答えには「2」と「田んぼの田」がある事が分かった。

 

 

そして、この理論で行くと0-0=メガネと言う事も証明された。

 

 

 

 

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=の無理やり感はあるが、まぁメガネだ。

 

 

 

 

そして同時に0-0-0-1=中島という事も証明された。

 

 

 

 

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中島

もう、完全にめちゃくちゃな上に誰だか分からないので、「いその」は勝手に足させて頂いた。

 

因みにこの数式はこんりんざい一再使用されることは無く、覚えていても全く役に立たないので綺麗さっぱり忘れて頂きたい。

脳のメモリーが無駄になるので、なるべく早く頭から抹消することをおすすめする。

 

 

さて、1+1=「2」と「田んぼの田」がある事気づいた僕は、もう無敵だと思っていた。1+1=と聞かれれば、算数的に言えば「2」国語的には「田んぼの田」と言う一切の弱点が見当たらない最強の答えを見出してしまったからだ。流石にこんな事を言われた友人はぐぅの音も出まい。

 

そして、案の定バカの1つ覚えみたいに友人から「1+1は?」と質問が飛んでくる。

「2」もしくは、「田んぼの田」と答える。まぁ正確に言えば数字的には「2」文字で表すと「田んぼの田」と言ったとこかな?と心の中で軽くガッツポーズをし、自信満々の笑みをこぼす。友人がその場で膝から崩れ落ち、僕を拝みたて続けるイメージが頭に浮かぶ。

 

 

しかし友人から返ってきた答えは「はい残念~もっとでっかい1~」だった。

 

え?首を傾げ、しばらく長考するが、流石にこの僕ですら、この答は少しおかしいのでは無いかと疑問に思う部分が出てきた。大丈夫なの?これ?だった。

 

「もっとでっかい1」はちょっと無理がありそうな気がする。捻りが無さすぎる。

「田んぼの田」と聞いた時は、なぜ?と何か裏がありそうなワクワク感に興味がそそられた。何かそれらしい答えがこの中に潜んでいると。そして、その答えも素晴らしいものだった。

 

 

一方の「もっとでっかい1」は単純すぎて、全く興味がそそられない。めちゃくちゃ頭悪そうだ。

1に1を足すともっとでかい1になる。どんなに頭のいいやつが説明したとしても頭悪そうに見える。

 

これについては具体的に話し合うも、皆良く分からないという結論に至り、良く分からないまま使い続けていった。1に1を足すともっとでかい1になるんだよ!の一点押しで皆乗り切っていった。

 

まるで切り札のジョーカーの如く「2」「田んぼの田」と言われると、「ちっ切るか。」と言った形で「もっとでっかい1」が使われていった。

 

ともかく1+1=「2」「田んぼの田」の他に良く意味が表せない謎の答え「もっとでっかい1」が、突如加わってしまった。

 

 1+1=と言われると、すぐに頭の中で3択に迫られる。

 「2」「田んぼの田」「もっとでっかい1」。急に頭の中で選択コマンドが現れる。

流れから言って2か?いや、ここは冷静に「2」と「田んぼの田」を抑えていくべきか?しかし、奴には「もっとでっかい1」が控えてる。ならば、先に「もっとでっかい1」を潰すか?いや、そしたら、単に答えが「2」だった場合、そんなのも分かんないの~?と、邪悪な目で見降ろされ、ケラケラとその場で笑い転げられる。

 

 

 と、いくら頭のなかで推理しようが、絶対その答えが合う事は無い。

100%間違える問題。1+1=

 

友人同士、みんなで必死な心理戦が繰り広げられる中、一切の確定的な答えが出ない1+1=は当時の僕達にとっては、どんな積分よりも難しい問題だった。

 

 

しかし、それも一時のブームであり、時がつれるに連れて皆使わなくなっていった。

やがて、僕らは、大人になり最終的には、1+1=2だったという結果にたどり着いた。

 

少し遠回りをしてしまったが、結局は1+1=2という事が分かって僕はとても安心しました。(笑)

そして、「田んぼの田」や、いまだに謎だが「もっとでっかい1」という答えがある事を知った僕はとても視野を広く持つことが出き、もっと頭が良くなった気がします。

 

 

人生において、1+1=2は当たり前ですが、たまには見る角度を変えてみてもいいかもしれないと思います。

 

では。