あれこれ トミこれ事件簿(´▽`)

世の中のふとした難題をその場の勢いとノリだけで解決していく。

”カナヅチ”の気持ち。

 

 

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遥か昔の話だが、僕は悪魔の実を食べていたらしい…

 

けっこう前の事なので、何の実を食べたのか良く分からない上に、いまだにどんな能力が発動するのかも不明である。

もしかしたら発動しているのかもしれないが、恐らく生きていく上で全く役に立たない能力だとおもわれる、これはたぶん間違いないと思う。

 

ただ、泳げなくなる。というデメリットだけはバッチリと残ったまま、今日まで生きてきました。

 

 

心当たりのある方もいるのでは無いだろうか?

 

 

 

という事で、今日は”カナヅチ”のお話です。

 

 

早速だが、僕は万年のカナヅチであり、全くもって泳げないまま気づけば26年が経っていました。

 

自慢では無いが、学校のプールの授業や夏に行われるスイミングスクール短期講習などで、1度も25mに達したことがありません。

当然の如く、毎回オタマジャクシコースからスタートを切ることになる。

 

カエルさんコース、イルカさんコース等は未知の領域であり、イルカさんコースの方々は半分魚だと思っていました。

 

 

人間の事を魚だと思っている時点で、僕の頭の中は「なぜ僕は泳げないんだろう?」では無く「なぜあの人達は泳げるんだろう?」なのであり、泳げる人間の方が不思議という現象に陥っているのだ。

 

あの人達は人間じゃない、という恐ろしい勘違いからこの男性は泳ぐという事に全く興味がなくなってしまったのだ。

 

 

 そもそもだが、泳げないというだけで普通にプールに行ったり海に行ったりして遊ぶ上ではあまり問題が無い。浮き輪、ビーチバレーボール、ビート版、ゴーグルというプール界の神器がある限り、十分に楽しめる。

 

因みに足のつかないところで、浮き輪の空気を抜かれるとガチギレする。

 

 

僕は特に泳げる、泳げないというのは特に気にしていないのだが、この時期プールの話になると必ず泳げる、泳げないの話題に突入する。

 

 

 

周りではどれぐらい泳げる?選手権が始まる。

 「体力さえ続けば無限に泳いでられるっしょ」「昔はバタフライでもいけたけど、今はどうかなぁ~」等と言ったアーロン一味みたいな会話が繰り広げられる中、僕は宣告する。

俺、”カナヅチ”だわ…と。悪魔の実食ったわ。と

 

 すると、

 

 

アーロン一味達から、必ず返ってくる質問がある。

 

 

 

「え?何で泳げないの?」

 

 

 

 

 

なんで泳げないの?…

 

いつも思う。

 

なぜ僕が、質問される側にまわっているんだろうと… 

 

 人間は陸で生きてるだろと。水中で泳ぐという事の方がよっぽど不思議である。魚じゃあるまいし。えら呼吸じゃあるまいし。

 

こっちのほうが100倍質問したいのである。

 

だが「なんで泳げるの?」と質問したところで、全然解決に至らない。

 

 

泳げる人達には、あまり理解しがたい点が沢山あると思うのだが、正直”カナヅチ”から言わせてもらうと、全くもって言ってる意味が分からないのだ。

 

 「なんで溺れちゃうの??浮けばいいじゃん。」

 

 

 

 

浮けばいいじゃん。

 

 

 

 なかなか、おもしろい事を言う。そんな簡単に浮けていれば何の苦労もしない。くらげじゃあるまいし。

 どんな構造してれば、水中に浮けるのか?”カナヅチ”をあまり舐めないで頂きたい。

 

しかし、泳げる人間は、なんか水中で手や足をスイスイやってて、普通にぷかぷかと水中で浮いている。前世はアメンボだったんだな。と思う。

 

アメンボか、空中に舞った後海に落ちていくビニール袋だったんだな。可哀そうにと。

 

 水中に浮くことは、空中に浮くくらい難しい事だと思っている。

因みに空中に浮く人間の前世は、風船かノアの箱船だとおもっている。

 

 

このようにだが、いくらアドバイスを聞いたり泳ぎ方を聞いたところで全く泳ぐ気のない僕ではあるが、泳ぐという事には何回かチャレンジしたことはある。

 

 

ここからは、”カナヅチ”である僕が、今まで挑戦してきた泳ぎ方を、”カナヅチ”目線で難易度別に表していきたいと思う。

 

”カナヅチ”では無い皆さんは是非、可哀そうな奴だなと鼻で笑って頂ければ幸いです。

 

では、早速まずは僕のスペックから紹介していきたい。

 

・得意な泳ぎ バタ足 けのび。

 

 

・得意技 水中じゃんけん。ライフセーバーに笛を吹かせる。ウォーターボーイズの踊り(プールサイド版)。潜る(沈む)

 

 

・ヤバかった出来事 流れるプールで流されて行方不明になる。波にのまれる。くらげに刺される。ウォータースライダーで後ろのおっさんに激突される。九十九里浜に沈む。

 

 

といった、ヤドカリもびっくりする程のスペックである。

 

 僕の前世は、タニシかホタテだったのだろう。

 

 

 そんな僕が今まで挑戦してきた泳ぎというのが、クロール、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライ、犬かき。である。

 

 では、まずはクロールからいこうと思う。

 

・クロール

 

・難易度AA+

 まずは、みなクロールから始まっていくと思うのだが、これが早速難題となってやって来る。

何と言っても息継ぎが難しい。泳ぎに夢中になる為、水面上に顔を浮かべるという作業が出来ない。忙し過ぎるのだ。

 

仮にできたとしても、ただ顔を浮かべているだけであり、息は吸ってない。 

 結果、ただただ酸素だけが失われていき、「ヴぉぁっ!!」と言って足をつく。10mだった。

 クロールは、バタ足に手をクレーンゲームみたいに動かす作業だと思っている。

 

 

 

・平泳ぎ

 

・難易度A+

 次に平泳ぎである。これは比較的にクロールと比べれば楽なイメージがある。

あくまで、クロールと比べればである。クロールよりかはあまり忙しい動きをしないため、息継ぎにも少し余裕が出て来る。

 

しかしだが、いっこうに前に進まない。そしてどんどん幽霊船の如く水中へと沈んでいく。気づけば、足と手の動きがバラバラになっていき、スタミナは奪われ足がつり、「んっばぁぁっ!!」と言って足をつく。8mだった。

 

平泳ぎをするときは、沈まないように体中にワセリンを塗るべきだと思う。

 

 

 

・背泳ぎ

 

・難易度SSS

さて、こちらの泳ぎ方に関しては謎が9割を占めている。もはや「なんでそんな泳ぎ方するの?」の一点押しである。それ以外の何ものでもない。正面むけよ。である。

 

体の構造どうなってんの?から始まり、めっちゃ顔に水かかんじゃん。となり、最終的に、どこ見てんの?になっていき、ターンの時絶対、頭ゴンッ!ってなんじゃん。になる。

 

背泳ぎに関しては、泳ぐ以前の問題である。なぜ開発されたのか?これに限る。

因みに僕は、泳ぐ前に沈んでいった為、記録はでなかった。

 

 

 

・バタフライ

 

・難易度EX 

 こちらも同様、背泳ぎと同じで何でそんな泳ぎ方をするのかは分からないが、まだ正面を向いてるだけあって背泳ぎよりかは納得できる。

 

だが、これも疑問だらけである。まず、足だ。なぜそんな、ぐいんぐいん動かす必要がある?エビか。そして手の動き。そんな動き砂場で遊ぶ少年がめちゃくちゃデカい落とし穴を作る時くらいしか見た事がない。もはやショベルカーである。

 

バタフライも泳ぐ以前の問題である。名前も何で蝶々なのか分からない。ショベルカーでいい。

 

因みに僕は、出だし早々で足がバタ足になってしまった為、記録は出なかった。

 

 

・犬かき

 

・難易度???? 

 さて、最後に犬かきだ。

こちらの泳ぎ方に関しては、一応出来てはいると思うのだが、いまいち正解が分からない。「これでいいのかな?」である。

 

そもそもだが、泳げる人であってもこんな泳ぎ方をしてる人をあまり見たことが無い。

北島康介であってもだ。一流の水泳選手であっても、使わないこの泳ぎ方に正解などあるのか、とても疑問である。

 

一応何回か挑戦してやってみたが、どんなに頑張っても5mが限界だった。

 

犬はとても凄いと思った。

 

 

 

さて、以上が僕が今まで挑戦してきた泳ぎ方なのだが、今改めて振り返ってみると、何ともひどい結果である。

 

ここまで来ると、我ながら少し心配になってきた。

 

これを機にちょっとばかり本気で泳ぎに挑戦しようと思えてきた。

 

よくよく考えると、

プランクトンや、ミジンコと言ったあんなチンケな生物だって水中で活動できるのだ。人間の僕に出来ないはずがない。

 

悪魔の実だか何だか知らないが、そんなものは知ったこっちゃない

 

 

 ヤバい、

 

 

なんか、どんどんやる気が出てきた。

今なら泳げそうな気がする。

 

 

 よし!

 とりあえず、道具を揃えてからだな!

 

浮き輪でしょ?

 

 

ビート版でしょ~?

 

あとは~

 

 

…………

 

 

 

…………

 

 

 ていうか、

 

 

 

 

もう、夏終わりじゃね?

 

9月入ってね? 

 

 

 

 

こりゃまた、来年だな。

 

 

うん。

 

 

 

 

来年頑張ろ!!!(笑)

 

 

 

 では!

 

 

 

 

 

昔の無法地帯な遊戯王を、元デュエリストが教えよう

 

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全国のデュエリスト諸君、

こんにちわ。

 

今日もデュエルディスクを片手にデュエルを楽しんでいるだろうか?

ドロー!!裏側守備表示っ!!強欲な壺っ!!そんな意気揚々とした声が今日も聞こえてくる。

 

 

 

うむ。それだけ聞ければ十分だ。今日も皆が、楽しくデュエルに明け暮れ、ベテランから始めたてのデュエリストたちが己の信念の為にカードゲームで戦っている。

素晴らしいでは無いか。それだけ聞ければ僕は満足だ。安心して見守っていられる。

 

因みに偉そうに語らせていただいたが、僕は、デュエリストではありません。

正確にいうと元ニワカデュエリストである。

 

 

遊戯王カードでいうと、つぼ魔人で止まっている。

 

 

 

 

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 つぼ魔人は個人的に好きだ。つぼの魔人だからつぼ魔人。シンプルでいい。

あと、この攻撃力200ってとこが良い。逆に?ってとこが。200もあんの?ってとこが。

つぼでしょ?どうやって攻撃すんだろ、やっぱり手に持ってるシャボン玉だろうか?なんなら人間の僕でも、もしかしたらってとこがある。つぼ魔人はいい。

 

 

 

さて、今回は遊戯王について語らせていただきたい。

デュエリストでも無いものが、いきなり何を言うかと首をかしげた方も多いと思うので、訂正したい。遊戯王について語らせてください!!!

 

今の遊戯王が、あまりにも良く分からなくなっていたので、これはもしや今の遊戯王に慣れ浸しんでしまった人達は、昔の遊戯王について理解に苦しむ点が多いのでは?とシンプルに思ったのだ。

 

 

と言うのはたてまえで、

環境や、ルールが一変してしまった遊戯王カードについて昔の無法地帯の遊戯王についてただ単に語りたくなってしまったのである。

 

 

 

では、早速行きたいと思う。

まず、カードについてだが、今のように周りが白いカードや黒いカードは僕らの世代には存在しなかった。良くて、紫だ。融合で出せる紫までだ。

例えていうならば、「カルボナーラ戦士」と言うのがいる。

 

 

 

 

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因みに僕はこれをデッキに入れてる人を見たことがない。

 

召喚が、めんどくさい上に、そこらのしょうもないノーマルカードに普通に敗れていくからだ。あと見ている目線が良く分からない。

 

 

 

そして、レアカード。今みたいに角度を変えてようやく見えるような、白く光るカードも存在しない。

良くて、シークレットレアだ。僕らつぼ魔人世代がシークレットレアと言って真っ先に頭に浮かぶカードは「人造人間サイコショッカー」だ。

 

 

言い忘れていたが、今回遊戯王をあまり知らない人たちには申し訳ないが、良く分からい変な言葉がバンバン飛び交うと思う、そういう時は、かっこいい龍や、変な化け物を名前から想像して頂けるとありがたい。

 

 

因みに、人造人間サイコショッカーは、名前の通り、変な化け物の部類だ。そして強い。

カルボナーラ戦士については、単にカルボナーラが好きな戦士と、とらえてもらって構わない。その点に関しては僕もよく分からない。

 

詳しく知りたければ、カルボナーラ戦士と検索をかけて欲しい、ただしカルボナーラだけだと余裕でパスタに検索負けするので、必ずカルボナーラ戦士と最後まで入力する事を忘れないで頂きたい。

 

カードの紹介については以上である。

 

 

 続いて、デュエルフィールドだ。

最近は、デュエルを行うフィールドも大きく変わってきている。

今の人達には最近あまり見られないのだが、僕ら、つぼ魔人世代はデュエルを行うフィールドと言えば、もっぱらの外だ。ガンガンに外でやる。外8家2くらいの割合でやる。

 

しかも、スリーブなんてものは付けない。カード丸裸の状態で余裕で地面におく。

たとえ、ウルトラレアだろうが、じゃりじゃりの地面の上に容赦なく裏守備表示で召喚する。つぼ魔人世代にはカードが傷つくから勿体ないという概念が無い。誰が強いか?ただそれだけの為に戦う。

 

その執念は凄まじく、たとえどんな悪天候であろうと彼らは一切デュエルを中断しない。雨が降ろうが、嵐が来ようが、そそくさと自分のデッキを持ち屋根のある場所を探しだし、そこでデュエルが再開される。

 天候によるアクシデントに見舞われようと、デュエルをする為であれば、カードに及ぶリスク等は恐れない。

 

 

因みに僕の「砦を守るよくりゅう」は突如おとずれた急な突風により、見知らぬ誰かのベランダへと消えていった。

 

 

 

そんな事は日常茶飯事だったが、

  流石に、ブラックマジシャンが雨でずぶ濡れになってしまった時は、ショックを隠せなかった。へなへなになったブラックマジシャンを、崩れないように何とか家に持ち帰り、すぐさま、ストーブの前に置いたり、冷蔵庫の中に入れたりして復旧作業を行ったが、いくらやってもブラックマジシャンが元の姿を取り戻すことは無かった。

 

 

 いつまでたってもへなへなのブラックマジシャンはその後、冷蔵庫に入れられたのを忘れられ、数日後にキンキンの状態で、母親に発見された。

 たまごを取り出すと同時に、出てきたブラックマジシャンを見て「ゴキブリかと思った」と言った母の発言と、急に「ゴキブリ」という言葉を浴びせられたブラックマジシャンの表情は、絶対忘れないと思う。

 

 

 

 

 

こういった、環境や、バトルフィールドもそうだが、やはり1番変わったのは間違いなくルールだろう。

ここからは、覚悟して欲しい。これは地元だけだったのでは?と今考えると全く訳の分からないルールが飛び出してくる。

 

 今はもう細かいルールが多過ぎてよく分からない。と良く言われるが、逆に細かく無さ過ぎて良く分から無いという不思議な感覚におちいるだろう。

 

まずは、制限カードだ。今はせいぜいデッキは40~60枚と言ったところだろう。

40枚以上60枚以下でデッキを組む。これが基本だ。

 

 

まず、それが無い。早速だが、そんなルールは存在しない。

 普通に100枚とかで組んだりする。もしくは、20枚だろうが、戦えさえすれば何枚であろうと構わない。当然の如く同じカードは何枚も入ってる。

 禁止カードなんてのも存在しない。

 

 因みに僕のデッキの中には、「魔法除去」が6枚入っていた。

そのうち1枚は字キラだ。つぼ魔人世代は字が銀色に光るノーマルカードを字キラという。めちゃレアだとおもってた。

 

その後、同じカードは3枚までと知るが、その頃には「魔法除去」は僕のデッキには入れる価値の無いものとなっていた為、二度と「魔法除去」が僕のデッキに入る事は無かった。

 

死者蘇生なんてカードも当然の如く3済みだ。

 

1回のデュエルで、1度死んだデーモンの召喚が5回くらい甦ったりする。

一体何をそんなに蘇らせる必要があるのか?そして何回死ぬんだと。

 

 

 

しかし、そんなのは、まだまだ全然可愛い方だ。

 僕らには、もっと恐ろしいルールが存在した。

 

当時恐れらていた、最強カードがあった。

「マジックシリンダー」と言うトラップカードだ。今でも使われていると思うが、一応説明しておくと、相手が攻撃してきた時に使うとその攻撃してきたモンスターのダメージを相手に跳ね返すという、とんでもないカードだ。

 

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そして当然の如く、みんな3枚デッキに入れている。

 

問題は、このマジックシリンダーが場に2枚以上伏せられた時に起こる。

 

対戦相手が攻撃!!と宣言した瞬間「はい、マジシリ~」という謎の掛け声ともに開かれる2枚の伏せカード。

そして、その開かれた2枚の「マジシリ」を見て攻撃を宣言したものは「マジかよ~」と言ってその場で崩れ落ちる。

 

 

不思議だろう?一応説明しておくと。

罠カードというか、「マジシリ」は1回の攻撃につき、1枚までしか使え無いのにも関わらず2枚併用して使っているのだ。

 

 

そう、罠カードをオープンする条件等と言った細かいルールは彼らは気にしない、あくまでも、そのカードに書かれている真実だけに忠実に従う。

 

つまりこの場合、一気に2枚の「マジシリ」の効果が発動された事によって、2倍のダメージを跳ね返したという事になる。

 

たとえて言うならば、ブルーアイズで攻撃してこれをやられた場合一気に6000ダメージ返ってくるという事だ。

もう訳が分からないだろう。1回だけしか放って無いはずの滅びのバーストストリームが、なぜか2回になって返ってくる。

 

これが、たまらなく恐怖だった。マジで何にもできなくなるのだ。

 

こっちの場にブルーアイズがいて、相手陣地ががら空きであっても、罠カードが3枚伏せられている状況であれば、「タ……ターンエンド…」となるのだ。

 

 

しかし、こんなものでは、済まされない。さらに上がある。

これよりも、もっと恐ろしいルール。というか、もはやルールとか反則とかそんなレベルでは表せない。普通に犯罪に匹敵する。

 

 

そんな、犯罪レベルまで影響を及ぼす、悪魔みたいなカードが存在した。

 

それが「心変わり」という魔法カードだ。

一応説明しておくと、これを使うと、1ターンだけ相手のカードを自分のものに出来るというカードだ。

 

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当時のこのカードの使い方のテンプレとしては、

心変わりを使う→相手のモンスターを自分のものにする→生贄に捧げる→サイコショッカー。と言ったパターンだ。

大体操られたモンスターは生贄に捧げられる。

 

そう、この生贄に捧げられる段階で犯罪の第一段階へ突入する。

これは、今考えるとほんとに良く分からないのだが、なぜか操られたカードは生贄に捧げられると自分の墓地ではなく、ゲームが終わるまで相手の墓地に行くことになる。

 

自分のカードが相手の墓地に行くなど、今では想像できないだろう。

 

しかし、何度も言う通り彼らは、細かいルールなんてものは気にしない、カードに書かれた通りの真実に絶対の信頼を経ている。

 

1ターンだけといえど、生贄に捧げられては仕方がないな。と相手の墓地に行くことに何の不信感も持たない。

むしろ、目の前にサイコショッカーが出てきたことに絶望を感じる。

 

因みにサイコショッカーは「マジシリ」を無効に出来るめちゃくちゃ強いカードだ。

 

そして、問題は、デュエル終了後だ。

まぁ大体は、気づいてデュエル終了後には本人の元へとカードが戻っていくのだが、忘れてそのまま、相手のデッキの中へ入っていってしまうと、もう終わりだ。

 

家に帰ってデッキを確認すると、「あれ?ラーバモス無くね?」ってなったりすると、もうその「ラーバモス」は 一生返ってこない。

 

奪ったものは、そそくさとコレクションファイルに入れられ、次の日にはラーバモスなんて無かったよ?としらばっくれられる。

返せよ!ラーバモス!と言っても、知らねーよ!ラーバモスなんて!!

と言われる。そして、しばらく考えた結果、まぁいっか。と諦める。

 

 

いいのかよ!!と思った皆さんに、ラーバモスを簡単に説明すると、めちゃくちゃ弱いイモ虫だ。

そんなものをコレクションしてる奴が逆に心配になる。

 

そこまで欲しいか?と疑問に思ったが、可哀そうになって来たので悩んだ挙句、献上した。

 

僕が奪われたのは、チンケなイモ虫だったから良かったもの、周りの友達の中には物凄いレアカードを盗まれている者もいた。

ホーリーナイト・ドラゴンを盗まれて、ガン泣きしてる者もいた。

 

そこまで、少年の心をづたづたにするカード。心変わりは、正に悪魔のカードだった。

 

これはぞくに、心変わり詐欺といわれ、当時の僕達にはどんな詐欺の中でも一番恐ろしい詐欺だった。 

 

 「心変わり」には、気をつけろ。っと日本中の少年が怯える。びくびくと、毎日「心変わり」に怯えていた僕達だが、

ある日、とんでもない人物が現れた。そのとんでもない人物は誰だか忘れてしまったのだが、彼の「心変わりで生贄に捧げられたら自分の墓地に置けばいんじゃね?」という発言に誰しもが度肝を抜かされた。

 

頭良くね?と僕達は感動した。世紀の発見かと思った。エジソンみたいな人物が現れた!と当時、そのエジソンみたいな人物は一躍スーパースターになった。

今でも名前が思い出せない。

 

 1つの人類の悩みとも言われる、「心変わり」詐欺が、このエジソンのような人物により、解消され僕達はまた、安心してデュエルに臨めるようになった。

 細かいルール等も徐々に取り入れられ、より一層デュエルが深く、安全に楽しめるようになった。

 

 

時は流れ、もう今では、「心変わり」詐欺なんて言うのも死語になってきている。

 

 

今日もみんなが、安全にデュエル出来ていることを僕は嬉しく思う。

 

僕は、デュエリストでは、無いがデュエリストの皆さんには是非、安全に楽しくデュエルというものを楽しんで頂きたい。

 

 

デュエリストより。

 

 では。

「金色のガッシュベル」人に興味を持たせるのは難しいね

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こんにちわ。

 

とみです。

 

今年で26歳となります。

 

ワタクシ最近、ついにジェネレーションギャップというものを感じるように、なってまいりました

 

 

 

皆さんは、金色のガッシュベルをご存じだろうか?

因みに「きんいろ」、ではなく「コンジキ」と読む。

 

とにかくだが、とても感動できるアニメである。一体何度このガッシュベルに泣かされたか分からない。これは僕にとって青春のアニメなのだ。

僕ら世代の人達は、見ていなくても聞いた事くらいはあるのでは無いだろうか?

 

 

 

ついこの間、大学生とお話していた時の事、話の話題は感動したアニメについてだった。

僕は迷わず金色のガッシュベルを押した。

 

「やっぱガッシュでしょ~」と。俺は何と言われようと金色のガッシュベルだね!と自信を持ってプッシュした。しかし、大学生等から返ってきた答えは「なに、それ?」だった。

 

 

しばらく、場が凍り付く。

え?マジで?「なに、それ?」までいっちゃう?。見たことない、聞いた事ならあるわ~くらいなら、分かる。僕ら世代で言ったら、ドラゴンボールスラムダンクと言ったように、世代では無いが名前くらいは、ある程度認知はされていると思っていた。

 

 

それが、「なに、それ?」と来たもんだ。「食えんの?」みたいな勢いで来られたもんだ。たまったもんじゃない。こんな感動できるアニメが、もはや、何なのかすらも分かられいないのだ。悔しくなった僕は何としてでも、このアニメの素晴らしさを、こ奴ら教えなくてはならんと!それが今日の僕の義務だ!と心に誓う。

 

 

なにそれ?と質問してきた大学生等に僕は、丁寧に説明する。まぁ、簡単に言うとブリが好きな少年が、電撃を吐く物語だな。と……

 

 

すると、大学生から返ってきた答えは、

 

 

 

「つまんなそ。」だった。

 

 

 

な⁉……しまった……

 

 

 

やってしまった。

ガッシュベルに興味を持たすためにと、渾身の意味で放った「ブリ好きの少年が電撃を吐く物語」が完全に裏目に出てしまった。興味が無くなってしまったどころか、つまんなそ。とまで言われてしまった。すべった挙句の果て、完全にガッシュベルから距離が離れていく大学生達。

 

 

 

こんなはずじゃなかった、こっからだ、こっからなんだよ。君たち。

てか、今こそ「なにそれ~?ww」だろ?食いついて来い!!「つまんなそ」じゃねんだよ!!「ブリが好きな少年ってなんだよw」だろ?「そいつが電撃を吐くって、どんな物語やねん!w」だろ!?こい!もっとこい!

 

 

そっから、いくらでも教えてやる。電撃はどうやって出るのかか?本だ!本で呪文と唱えるんだぜ!電撃の名前はザケル!ザケル!!って言って目が白くなって、口から電撃が出て来るんだぜ!!すげぇだろ!防御の呪文もあるんだぜ!ラシルド!!っつって。かっけぇだろ?でもやっぱ、1番泣けるシーンは、ココっていう魔物のところで、それが、#%hおk#kはww

 

って言いてぇ。めっちゃいっぱい言いてぇ事ある。

君たちはまだ、スタートラインに立っていない。こっから怒涛のガッシュベルワールドへと案内してやる。さぁ、はやく食いつけ!入口の扉をさっさとこじ開けろ。

 

 

しかし、冷めた目で一切食いついてこない若者達。「コードギアス」や「あの花」等と言った最近のアニメに飲み込まれていく金色のガッシュベル。こっから逆転の一発はもうほぼ無理に等しい。すまないガッシュ。俺の力不足だった。

 

完敗であった。

 

 

さて、これは自分の説明不足と言った事は大いに考えられる。いや、てか恐らくそうだろう。

 

しかしだが、このようにアニメに限らず、興味がない者に自分のおススメしている物を説明し、相手に興味を持たせるという行為は非常に難しい。

 

現に僕の友達にはどんなに周りが面白いといっても、絶対ワンピースを読まない者もいるし、僕自身も何でそんなアプリにハマってんの?と疑問に思うも、友達に勧められようが一切やろうと思わない。

よっぽどのおススメ力がない限り人に興味を持たすというのは難しい。

 

 内容をいくら説明しようが、興味が無ければ「へぇ~」で終わる。どんなに熱意を持ってお勧めしようが「へぇ~」の二文字でかたずけられる。

 

もしくは、一切の感情が無くなった「なるほど。」か「おもしろそう。」だ。

そこに人間であるという感情は無く、AIの如く記録されている言葉ただ淡々と発する。Aボタンを押したら喋ると言ったように、熱意を持ってお勧めしたら「なるほど」おもしろそう」とその場で反射的に発し、家に帰るころにはもう忘れている。

 

ならば、どうやって興味を持たすことが出来るのか?

この疑問に至る。

 

それは、恐らくこちらがいくら一方的にお勧めしても無理だ。

相手が、食いついてこないと意味がない。で?そっからどうなんの?教えてよ、気になるじゃん!と言ったワードを相手から引きづり出す必要がある。

 

 

そこで、放った渾身の一撃が、「ブリが好きな少年が電撃を吐く物語」だ。

 

 

 想像して欲しい。ブリが好きな少年を。

 

その少年は毎日ブリを食べる。というか、もはやブリしか食べない。

麺や米と言った穀物は一切取らず、野菜や肉と言った物も食べない。ずっとブリを食べている。朝、昼、晩、ひたすらブリを食べ続ける。数ある魚の種類から、ブリだけを抜粋し、こよなくブリを愛している。ブリが無くなってしまったら、この少年は食べるものが無くなってしまう。そんな少年をイメージして頂きたい。

 

さらに言うと、そのブリは生だ。

皆さんは、ブリを食べると聞いて、どのような料理を想像されただろうか?

照り焼き?塩焼き?色々と、美味しく仕上げる調理法があるだろう。だが、その考えは甘い。この少年は、完全に生でいただく。

 

 

しかも、包丁等は使わず、刺身にする訳でも無い、まるごと一匹そのままで食べる。

 

 

ガッシュベルを知らない人達は、恐らくとんだキチガイ少年だ。と頭の中にクエスチョンマークが浮かんでいると思うが、これはマジだ。

 

そして、別に何ら不思議な事では無い。

 

 

分からない人の為に図で表すとこんな感じだ。

 

 

これが、

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こうなる。

 

 

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 よろしいだろうか?

進撃の巨人では無いという事はあらかじめ言っておく。

 

 続けよう。

 

さらなる真実を伝えると、そのブリは手で捕獲される。

皆さんは、ブリに限らず、魚をとらえる時は基本的にどうしますか?

一般的に考えると、釣り竿を使って魚を釣ると言った考えが常識だ。

 

しかし、この少年は、釣り竿等使わない。手で取る。

自らが海へ飛び込み手で捕獲する。

 

大丈夫だろうか?ついて来れているだろうか?

もはや、なんのアニメか、良く分かんなくなってきただろう。

 

続けよう。

 

 

そして、その少年は電撃を吐く。

 

ここまで来ると、もはや異次元の領域に達する。

手でブリをそのまま捕獲し、まるごとそれを食べる少年くらいなら、まだかろうじて想像することが出来るだろう。

 

しかし、電撃を吐くとなるともう、全く次元が違う話になって来る。

まさに、文字通り「何それ?」だ。

 

イメージがわかない人の為に図で表すと。

 

これが

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こうなる。

 

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 想像できただろうか?

 

因みにこの電撃の名前はザケルという。

本に書いてある呪文だ。ザケルと叫ぶと、このように口から電撃が飛んでいく。 

 

 

以上の事を簡単にしてまとめてしまうと、

 

 

 

 

ブリ好きの少年が、

 

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電撃を吐くのだ

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結局は、こういうことである。

 

 

 

 

 

 さて、皆さんはここまでのお話を聞いて、このガッシュベルという物語が理解できただろうか?

恐らく、十中八九出来ていないだろう。

 これで、理解出来たら逆に怖い。

 

なにせ、僕自身が書いていて全く訳が分からなかった。

 

どうやら、僕には人にものをお勧めする才能が無いらしい。

僕の狙いは「ブリが好きな少年が電撃を吐く物語」から興味を持たせて、「なにそれ~?」となったところで、畳みかけていくという作戦だった。

 

 

 

しかし、

 

 

「ブリが好きな少年が電撃を吐く」という物語。

 

よくよく考えてみると

 

 

今書いていて思ったのだが、

 

 

これは、興味がわく、とかどうこういう以前に、

 

 

どうでもいい。

 

 圧倒的にどうでもいい、

 

 

文字で表すと「で?」だ。

 

もはや、「へぇー」や「なるほど」を通り越して「で?」に至る。

どうでもいいの代名詞「で?」である。

 

「ブリが好きな少年が電撃を吐く」と聞いたところで、何も生まれない。そこに唯一何か生まれるとすれば「で?」であろう。

 

 

そう言った意味で、大学生たちのリアクションは間違っていなかった。

むしろ、「つまんなそ」と4文字でリアクションを頂いた事に感謝すら覚える。

 

あーなんて難しいのだろう。

 

人に興味を持たせるというのは、、

 

ごめんな、ガッシュ

 

こんな 俺のせいで、

 

次は頑張るよ。

 

では。

 

 

  

 

恐怖の限界を超えると人は爆笑する、

 

 

 

 

 

人は、恐怖の限界を超えると笑う。

 

皆さんは幽霊をみたり、ホラー映画を見たりした時に爆笑した事はありますか?

 

因みに、僕はありません、ついでに幽霊も見た事ありません。

 

しかし、怖い体験は確かに限界を超えると笑えて来るという、原理はあながち間違ってはないんでは無いだろうか?という体験をしたことはあります。

 

 

アルバイト時代の話、同僚のアルバイトのスマホの様子が、どうやらおかしい。

見てみると、指も触れていないのに、勝手にスマホが動き出すのだ。

 

スマホ自らの意思で、勝手にグーグル開いたり、しりが勝手にしゃべり出したり、変なエロサイトに飛んでったりと、それはもう自由奔放、思春期の少年の如く、好き放題動き回っていた。

 

 

これは、ゴーストタッチという現象らしく、名の通りゴースト(幽霊)タッチ(触る)なんて意味が込めれている。実際なっている人は結構いるようなのだが、

 

当時、初めてそれを目の当たりにした僕は、恐怖で固まっていた。勝手に文字を打ち出したりする、そのスマホが不気味でしょうがなかった。

 

 

 

しかし、その同僚は、恐怖で怯える僕を横に、暴走するスマホを見つめ「はぁ、またか。」と一言。そして、いきなりそのスマホを、テーブルに叩きつける。

 「チっ」と舌打ちをした後、ぐりぐりとスマホの画面を物凄い圧力で押し付ける。もう、なんか液晶がヤバい事になってる。虹色になってる。

 

  

しばらく押し付けた後、うんとも、すんとも言わなくなったスマホ画面。ようやく落ち着いた同僚は、軽く、スマホ画面にグーパンを入れて、「うし。」と一言。何事も無かったかのように、スマホに人差し指をスライドさせ始める。

 

 ………

 

……

 

いや、

 

 

 

ちょっと待ってくれと。何だったのだ?今のはと、 

不可解な現象に あまりにも、自然に元に戻っていく同僚がの姿につい、こう思わざるおえなかった。

 

この行動は謎だらけだ。

まず、「はぁ、またか」でこの現象をかたずけ始める。毎回こんな不気味な現象が、起きてるのか?とこの時点で異常を感じる。そして、直し方だ。あってんのか?それは?だ。一時的な直し方だと思うが、明らかに公式にのっとった方法ではないだろうと思う。そんでもって「うし。」だ。もう大丈夫みたいな。

 

「うし。」じゃないだろ。なんだその、よーしおっけー次いってみよう。みたいな「うし。」は。絶対ダメだろ、またなるだろ、それ。

グーパンを入れる意味も分からん、「もう勝手に動くんじゃないぞ?いいな?」みたいな意味が込めれてるんだろうか?優雅にスマホをスライドさせてる場合か⁉さっさと変えろ!その携帯!!呪われてるぞ⁉

 

 

とにかく、このスマホが怖かった僕は、疑問だらけだった。

 

「ヤバくない?大丈夫なん?これ?」

疑問が山ほどあるが、その意味を全て込めて同僚に放った。

 

 

すると、「あーこれ?もうマジうぜぇよ」と言って、またスマホに夢中になり始める。

 

 

 

…………

 

 

いや、

 

 

終わり?

 

そんなもんなの?

 

  

この、僕と同僚の温度差は明らかにおかしい。

 

恐怖で怯える僕の横で「マジうぜぇよ」と同僚は怒り狂っているのだ。

なぜ、怒っているのか?まず、そこじゃ無くね?と思う。この状況は不思議でしょうがない。

 

皆さんは、怖い話や、ホラー映画を見ていて、いきなり 怒り狂い始める人間を見たことがあるだろうか?ないだろう。

 例えいたとしても、なんで?となるだろう。

 

 

まさに今そんな、感じだ。

 

そこじゃ無い感MAXなのである。

 

二人で「リング」を見ていたとしよう。井戸から出て来る貞子を見て、ビビりまくっている僕の横で、同僚は「あーなんだかなー、もうちょい貞子も髪切って、化粧バッチリ決めればもっといい女になるのになー、あれじゃ男も寄って来ねぇって。ほんと勿体ねぇよ。出て来る場所も井戸ってなんだよ、せめて琵琶湖だろ。これだから貞子は全く。」と訳の分からない文句を並べながら、切れているのだ。

 

 

そこじゃない。そこじゃ無さすぎる。

今は怖がるところだろ。なんで貞子にダメ出ししながらお前は切れてるんだ?

 

と不思議に思うだろう……

 

 

さて、この恐怖が怒りになるという現象、僕はさっぱり分からなかったのだが、数日経って何となく分かってくるようになる。

 

2日~3日経った頃だろうか?

相変わらず同僚は、ゴーストタッチとの戦闘を繰り広げている。

 

サトシの言う事を一切聞かず、指示とは全く別の技を出し始めるリザードンのように自由な行動するスマホ

 

「やれやれ」ともう同僚はあきれ果てている。

 

僕は、その動き回ってるスマホ画面をしばらく見ていて、おかしな感情が湧き上がる。

 

あれ?なんか、イライラしてきた。

当初は恐怖により全く思わなかった感情なのだが、確かにイライラしている。

 

見れば見る程、その動くスマホを見てイライラしてくる。

人間に歯向かっているその、スマホの動きが。そのフリースタイルが。

 

自由になりたいのは分かる、恐らくそれは、人間であれ、スマホであれ同じなのであろう。しかし、スマホよ、お前が今自由に動き回ったところで何が生まれている?

 良く考えてみろ。お前の役割は何だ。人間の役に立つところだろ、それが今は人間を困らせているという事に気づかないのか?

 

 

しかし、この思いをよそに、同僚のスマホはひたすら、動き回る。

ガン無視である。

 

「知ったこっちゃない」と、それはそれはもう、驚くほどのガン無視である。

 

 

 

ダメだ、いらいらする。完全になめてやがる。

ようやく、僕は同僚と同じ領域に達したのだ。

 

 

 怖い→怒りの段階へと変わっていったのだ。

 今なら、同僚の気持ちが分かる。これは確かにいらいらしてくる。

 

 

しかし、僕が怒りの段階へと突入していってる間に、同僚はさらなるステップへと進んで行っていたのだ。

 

 

そう、

 

それが、笑いだ。

 

同僚は、怒りを通り越してもはや、笑っている。

「なんなんだよーもうー」とか言いつつ、笑っている。

 

ずっと笑っている。笑いすぎだろってくらい、笑っている。

 

これも、実に不思議な状況だ。

 

僕が、怒りに震える中、同僚は横で爆笑しているのだ。

なんで笑ってんの?だ。どうみても笑う所じゃ無いだろう?だ。

 

 

皆さんは、何もしてないのに、いきなりぶん殴られて爆笑している人間を見たことがあるだろうか?ないだろう。

 

例え、いたとしても何で?となるだろう。

 

まさに今そんな感じだ。

 

 二人で道を歩いていたとしよう、そしていきなり知らないおじさんに、後ろからラリアットをかまされたとしよう。「いってーな。何すんだよ。」と怒り狂う僕の横で、同僚は「あはは!はは!今のラリアット10点満点だったぜ。ぐっ……プハハハッ」等と言いながら笑い転げているのだ。

 

 

え。なんで?そこ笑うとこ?まず、怒れよ

 

 

と、不思議に思うだろう……

 

 

 しかし、次の日、もういい加減見飽きたよ。というくらい今だにフリーダムな同僚のスマホ

 

そこに怒りという感情は無く、もはや、”どうでもいい”だ。”無関心”ならびに、”何とも思わない”だ。

 

 

そんな状態の中、無限に動き回ってる、スマホが目に入る。

 ずっと動き回っている。

 

 

わかった。わかった。もういいから。

 ガン無視。ひたすら、ガン無視してずっと動き回ってる。

 

 

もう、凄いから、お前は凄いから、分かったから、もういいって。

まだ、動く、ずっとずっと、永久的に訳の分から無い動きをし続ける。

 

 

もう、なんなんだよー。

止まらない、いっさい休もうとしない、もうずっと動く。ずっとずっと動く。

 

 

そして、

 

 

ついに、ここで爆笑である。

あっひゃっっひゃっひゃっひゃっひゃと、それはもう、爆笑であった。

 

 

 

 

同僚も、おおウケである。

 なぜか、分からんが、相当おもしろい。

 

普通に2人で爆笑している。3分間くらい笑ってた。

 

 

ついに辿りついてしまったのだ。

恐怖が笑いに変わる瞬間に。

 

恐怖から怒りを経て、笑いへと変わっていったのだ。

 

 

思うのだが、これは、慣れなのではないかと思う。

 

人は、恐怖を感じるものには、自然と逃げていく傾向にある。

だから、慣れない。慣れないと怖いままだ。

 

しかし、無理やりにでも毎回見ていたら、慣れる。

なれると怖くなくなる→あほらしくなる→笑いと言ったところだろう。

 

ジェットコースターが苦手な友人がいたが、毎回無理やり乗せていくうちに、今や乗ってる最中に写真を撮りながら、笑っている。

 

そんなところだ。

 

 

 たとえば、玄関を開けて女の幽霊がいたとしよう。

始めは、びっくりするだろう。しかし、1週間、2週間と毎回その現象が起きてくるうちに「またか」となっていき、1年後には爆笑している。

 

 

呪怨の”としお”君も、最初は怖いが、毎回ずっと見ていくうちに、「こんな顔だったけ?」となり、1年後には顔を見ただけで爆笑だろう。

 

 

 

 怖いものが苦手?

甘い、慣れが足りないよ。経験だ。

 

 色々と経験し続けて、なれ続けるのだ、そうすれば、その恐怖はいつか、笑いに変わっていく。

 

では。

 

 

 

 

 

究極の選択肢を正解に導く者こそが、幸せになれる。

 

 

 

 

人は、1日に9000回の選択をすると言われている。

 

 

 9000回というと、そんなに?と疑問に思う部分も出て来るだろう。

そんな、ドラクエのモンスターみたいに歩いてたらポンポンと、選択する場面に遭遇するのかと。

 

 

だが、よくよく考えてみると我々は普通に生活してるだけで、無意識に選択を迫られているらしい。

 

例えば、朝起きて、うんこがしたくなったとしよう。

 

すると、まずトイレに行くか行かないか?という選択が出て来る。

トイレの前に立ってドアを開けるか?ズボンをおろして便座に座るか?そもそも、うんこがしたいのか?ケツはふくのか?トイレは流すのか?手は洗うのか?

 

と、うんこをするだけでここまでの選択肢がある。

ただ、無意識に全ていつも通りの行動をとって、トイレを済ましただけだ

 

この点から見ると人間は、おおむね9000回くらいは、1日に選択していると言えるだろう

 

しかし、僕は思った。人間は、1日9000回の選択肢を迫られて、全て正解の選択を選ぶことが可能なのか?

 

これだ。

 

さっきの、うんこの手順に戻って頂きたいのだが、仮にこの手順、1つでも間違った選択肢を選んだと考えて見て欲しい。

 

ゾッとしてこないだろうか?

 

 

少なくとも僕はゾッとする。

トイレに行かなかったら、どうなっていたんだろう?ケツをふかなかったどうなっていたんだろう?と、考えただけで、震えが止まらない。実際、今キーボドを自分で打っていて、ただただゾッとしている。

 

 

まぁだが、この手順を間違える者は、そうそういないだろう。

うんこしてぇーとなって、まぁトイレはいっか、今日は。なんていう奴はいないだろう。だいたい、うんこがしたくなったらトイレに行く。

それはそうだ。普通だ。ゾッとする心配は無用だったらしい。

 

この点からみると、たとえ9000回の選択肢が1日に何回来ようが、普通に生活してれば選択を誤るなんてことは無いだろう。

 

しかし、人生はそんなに甘くない。人間生きていれば、必ず人生において究極の選択を選ばざる終えない時が来る。

 

皆さんは、1日の終わりに今日の出来事を振り返って、いやー。今日はツイてない1日だったわー。なんて思った事が少なからずあるだろう。

 

恐らくそんな日は究極の選択肢を迫られ、間違った選択をしてしまった日だ。

 

 

究極の選択とは突然訪れるものだ。

 

たとえば、朝寝坊したとしよう。いつも会社へと向かう時間よりもだいぶ時間は過ぎてしまっている。ヤバい、ヤバい、と慌てて支度し始める。

 

時計を見ると、まだ頑張れば、間に合う時間だ。こっから着替えて、歯磨いて、5分で支度を終わらせ、○○時発の電車に乗れば何とか間に合う!!

 

よし!!いける!と大急ぎで靴を履き、玄関の扉に手を伸ばしたその時、、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やべぇ…………うんこしてぇ。

 

…………

 

 

そう、

 

 

 

 

 

 

うんこ襲来である。

 

 究極の選択とは本当に突然訪れるものだ。

 

朝起きてまだ、5分と足らずして今日の命運、いや、下手すれば今後の人生を左右しかね無い程の選択肢を迫られるのだ。

 

なんて、神様は卑劣なものなのだろう。

 なぜ、このタイミングなんだろう……と

 

 

 

 

今家を出なければ、間違いなく会社に間に合わない。しかし、耐えられるだろうか?

猛烈に襲い掛かってくる、圧倒的うんこのプレッシャー。

 

うんこ爆誕。うんこの逆襲。

 

会社までの道のりは1時間、満員電車に揺られながら、このうんこの撃襲に耐え抜くことが出来るのか?

 

いや、無理だ。コイツは一回怒らせたら用を足すまで二度と頭から離れていこうとしない、言わば、悪魔の化身。早く出せと、ノイローゼのように頭の中で囁き続けてくる。こんなものに太刀打ち出来るのは、よっぽどうんこ好きのクレイジー野郎じゃないと対抗できない。

 

 

ならば、一度会社に遅れるよう伝え、しっかり用を足してから行くべきか?

いや、ダメだそんなことしたら俺が、苦労して積み上げてきた、今までの信頼が崩れてしまう。

 

 

ど、どうする。今まさに人生の命運を分ける大事な局面。

ここが、天下分け目の天王山と言ったところだろう

 

さて、ここで気になって来るのが、この場面での回答だ。

一体どれを選べば正解なのか

 

まず、真っ先に考えなくてはいけないのは「漏らす」という事だ。これさえ防げれば最悪今日はダメな1日でも、今後の人生には少なくとも、影響は出ないと思われる。

 

己のコンディションと上手く相談し、冷静にその場の状況に合わせ判断しなくてはならない。

 

 

 もう、時間内に出勤というのは諦めて、素直にその場で、ドロップし戦いから降りるか?それとも、ええい!考えてる暇などない!!ここは勝負だ!とコールして戦いに出るのか。

 

 

今日の1日が不幸になるのか、それとも何事もなくいつも通り平和に過ごせる事が、出来るのか?ここで決まる。

経験、知恵そして、相手の(うんこ)実力。

 

 

 

それは、まさにギャンブル、、己の腹の具合、勘、気合、うんこの圧、気温、、全てを読み取り、この状況でどれが1番正解の答えなのかを導く必要がある。

 

 うんこの様子を伺い、深く読み取り、探り合う、裏に裏を掛け合う圧倒的心理戦。

 その勝者こそが、今日の幸せを勝ち取るのだ。

 

 

 

 

 

  

因みにさっきから、全くもって、最終回答にたどり着かないのだが、正直いうと、どれが正解なのか僕はさっぱり分からない。完全に迷宮入りしている。

 

 

偉そうに「究極の選択肢がある」等と、申し出たところ、申し訳ないのだが、この回答については、今だ不明だ。

 

結果、ただただ、うんこと会社員が戦っているだけという、読む価値に一切値しないストーリー展開となってしまった。その点は深く反省しております。

 

 

そうね、

 

まぁ、何が言いたいかって言うとあれだ、

 

 

そう、

 

 

 

 自分の信じた道を選べって事だ。

 

 

そうすれば、悔いがないっていうか、そう、間違いないって事だ。

 

 

 よし、

 

 

上手くまとまった。

 

 

 

では。

 

すいませんでした。(笑)

 

扇子の役割とは一体何なのか………?

 

 

 

 

 

 

 

目の前のおばさん2人組が物凄い勢いでしゃべり続けている。

 

電車の席について約10駅くらい過ぎただろうか?

いまだ、いっこうに止まる事のない無限の会話。扇子をパタパタと扇ぎ、もはや息をすることも忘れているのだろう。おばさん達は同時に、けのびでスタ―トし、1回も水面上に顔を浮かべることなく間もなく3000m付近のクイックターンに差し掛かろうとしている。

息継ぎすらもせずに、永遠と繰り返されていくその会話、あぁ言えば、こう返す、怒涛のエターナルチャットが今目の前で繰り広げられている。

 

一体何をそんなに話すことがあるのかと。

 

僕はとても気になっていた。

 

さっきからずっと、

 

あなたたちがずっと手に持っている、それ、

 

扇子。

 

 

 

そう、その扇子だ。会話が開始されたと同時にずっと煽り続けているその扇子の動きが明らかにおかしい。

会話に夢中になっているせいか、縦横無尽、四方八方と不自然に動くその手に持っている扇子の動きが気になってしょうがない。

 

時には、隣のおじさんを扇ぎ、時には見ず知らずの人間のバッグを扇ぎ、そして最終的にはお互いの腕や、靴を目掛けて扇ぎ続けられている。型にとらわれない自由奔放な動きを見せてくるその扇子はもはや、本来の役割を果たしていない。

 

何のために生まれてきた…おまえ…と、ふと疑問に思ってしまった。

こうなってしまっては、もうおしまいだ。

 

 ひたすら、扇子に感情移入してしまう。

 

そもそも扇子とはどんな使われ方をするのかを考えると、暑い状況の中でパタパタと扇ぎ自分の体温を少しでも下げ、 涼しくするような働きをする。という考えがスタンダードな考え方だ。

 

その点からみると、すでに、この扇子たちは役目を終えている。

もう、10駅程冷房の効いた電車の中にいるのだ。中はすいていて、もはや僕は寒いと感じるほどだ。決定的とも言えるのが、もはやおばさん達は自分を扇いでない。ブンブンと、ただ訳も分からず振り回してるだけだ。

 

 いや、俺今いる?僕が扇子だったら、真っ先にこう思うだろう。まるで、暇すぎるバイトに出勤してしまい、今か今かと早上がりを狙うアルバイトのトーンのように、「いや、俺今いる?」というだろう。

 

いらないよね?ねぇ?頼むよ、無駄な労働だよね?早く休ませて!もう1時間近く水も飲まないでブンブン振り回し続けられてるんだよ?人件費の無駄だよね?と心の底からすがって行くだろう。

 

 しかし、おばさん達は会話に夢中であるため、気にしない。「こないだ、章くんがね~」「まぁ~そう~」なんて会話のキャッチボールが繰り返されつつ、豪快に腕を振り下ろし、意味のない場所を永久的に扇ぎ続ける。もちろん残業代どころか、給料なんか出ない。恐るべしブラック企業、恐るべしおばさん。僕が扇子であれば、間違いなく扇子である事を辞めているだろう。

 

 

しかし、良く考えてみるとこの扇子。本来の使い方とは違うものの、使われていることは事実だ。おばさん達はこの扇子を別の使い方で使っているのでは?と疑問に思った。

思えばこの状況は、家にいてテレビを見てないのにテレビをつけていると言った状況によく似ている。

 

 

僕は、家に帰るとテレビをまず付ける。見なくても絶対つける。因みに電源を付けた後ずっと8を連打している。そしてテレビのチャンネルが8に変わったのを見届けてから、次の行動に移るのだ。これはもはや習慣であり、こうしないと落ち着かないのだ。

 

結果的にテレビは見られている訳でもなく、ずっと点けられっぱなしの状態である。僕は気づけば部屋に転がりスマホを眺め続け、テレビの内容等全く頭に入ってない。そして眠くなってきたら、電気と同時に点けられたテレビも消す。おやすみ。といったパターンだ。

 

このテレビの使われ方は、本来の使われ方としては絶対間違っているだろう。

しかし、僕は部屋でテレビが点いていることが当たり前の習慣になってしまっている。

見なくても、点いてるだけで安心感があるのだ。逆に点いていないと不安でしょうがない。

 

 

 

さて、扇子に話を戻そう。

このおばさん達の扇子の使い方はどうだろうか?

もはや、点けられっぱなしのテレビと同じような状況だ。

 では、このおばさん達も扇子を扇ぐという事に、安心感を抱いているのでは無いだろうか?おばさん達にとっては扇子を扇ぐことは当たり前の習慣であり、常に扇いでないと落ち着かないのだ。

 

 日常における生活において扇子は不可欠。ごはんを食べる時は扇子、風呂に入る時、洗濯する時も扇子、寝る時も扇子。こうして常に扇子が一緒にいることによって、おばさん達も安心感が得られるのでは無いだろうか?現に扇子を扇ぎながら会話を進めているおばさん達の表情は、安心感があり楽しそうに見える。

 

そして、

これは、一種のアクセサリーのようにも見える。自分にとって当たり前であり、そして自分を着飾るおしゃれアイテムのようにも見えてくる。

これは、時間なんてあまり見ないのだが、常に出かける時には腕時計をつけていると言った状況に近い。

 

 腕時計を、時計として扱うのでは無く、自分のおしゃれ度をグレードアップさせるアイテムとして扱っているのだ。

 

この扇子からもそのようなものが感じられる。

おばさん達のその、自信に満ち溢れた余裕な表情が物語る。さぁ。見なさい。これが本物のわたしよ。扇子を装備した美の限界突破、全てのステータスを美に振り分けたわたしの最終形態よ?あらぁ?あまりの美しさに言葉も出ないかしら?うふふ

 

なんて表情が伺える。

てか、マジで美しく見えてきた。

 

 なんだ?この圧倒的な美のステータスは?完全に誘惑されている。最初に見た時は、大声を上げながら、喋り続けているおばさん達に少しばかり苛立ちを覚えていたが、今は完全に魅了されている。誘われている?マジか。扇子。お前……

 

この現象は日本舞踊を踊る、舞妓さんが着物を身にまとい、扇子を広げながら美しく舞い踊る姿に魅了されていると言った現象に似ている。

 

凄すぎるぞ。扇子。

おまえ、しっかり仕事してんじゃねーか!!!

 

その後、おばさん達は会話を辞めることなく残り4駅くらい過ぎたところで降りていった。電車を出た後も相変わらず煽り続けられる扇子。

おばさん達の後ろ姿はあまりにも輝かしかった。まるで、浴衣を身にまとい今から彼氏と花火大会を見に行くの。と言った感じの光景がはっきりと目に浮かんだ。

 

 「そろそろ休憩下さい」

 

扇子からそんな声が聞こえた。

 

 

頑張れ、扇子。

 

 

1+1=の深さ……

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「1+1=田んぼのた~」僕は、これの意味を知った時とても衝撃を受けた事を覚えている。

 

 

 

僕はこの意味を知るのに、だいぶ時間がかかった。

ある日、友人が何の前触れもなく僕に「1+1は~?」と聞いてきた。

僕は普通に2と答えたが、友人から返ってきた答えは「はい~残念~田んぼのた~」だった。

え?と首を傾げ、しばらく長考した結果、僕が思ったことはシンプルに、なんで?だった。2じゃね?だった。

思えばこの時、素直にこの疑問を友人にしっかりとぶつけるべきだった。

 

 

 

しかし、ケラケラと僕をあざ笑う友人、してやったぞと言わんばかりの傲慢な態度をとる友人に対しムっとし、己の無駄なプライドがそれを聞くことを許さなかった。

 

 

 

しばらくして、皆がこの「田んぼのた~」を使い始める。僕も流れに乗って、意味が全く分からないものの、この「田んぼた~」を使っていた。

1+1は~?に対して2と答えると、はい~田んぼのた~っと。そしてそれに対して皆、うわ~出た~それ。と言うのだが、何が「出た」のかさっぱり分からなかった。

田んぼのた~から、何が出たのか不思議でしょうがなかった。

 

 

 

もう我慢の限界だと、誰かに聞こうとしようとするが、時すでに遅かった。

周りの当たり前になっているこの状況が、そして意味が分からないものの自信満々でこれを使ってる自分の今の立場がそれを邪魔してくる。

 

 

今で言うとTwitterやインスタって何?EXILEって誰?っといった質問に似ている。もう完全に今さら?感が出ているのだ。

 

 

 

一体なぜ1+1が「田んぼのた」なのか、当時小学校低学年の僕は悩みを抱えていた。

 

 

そもそも、僕は、田んぼの田ではなく、田んぼの「た」だと思っていた。

そう、「た」だ。あかさたなの「た」ひらがなの「た」だ。

 

 

1+1=た。これは、当時の僕にとってはとてもミステリアスな問題だった。

普通に考えれば1+1=2だ。今まで義務教育として、常識としてそう習ってきた。しかし何故か今は1+1=が「た」になっている。

 

 

 

完全に頭が混乱していた。考えれば考るほど、泥沼におちいっていく。見れば見るほど分からなくなっていく謎の文字「た」。

いつまで経っても答えに辿りつけない僕は、やがて考えるのをやめる。

 

そして、1+1=「た」なんだとシンプルに考え始める。

1+1=2ではない。「た」だ。何かが崩れていった気がした。

 

2の時代はもう終わった。もう今の時代は1+1=「た」の時代なんだ、と脳に植えつけ始め、やがて1+1=「た」と常識的にとらえ始める。

 

そもそも、答えが「た」であれば、なぜわざわざ田んぼのた。と言うのか?シンプルに「た」で良くね?と、どんどん道が逸れていく。

 

語呂がいいだけだろと思っていた。

 

 

 そして、すっかり1+1=「た」に定着していった僕の頭。

 

 

しばらくして、友人がまた質問をしてくる。「1+1は?」僕は待ってましたと言わんばかりに答える。「田んぼのた!」

しかし、友人から返ってきた答えは「はい、残念2でした~」だった。

 

え?としばらく首をかしげながら長考した結果、僕が思ったことはシンプルに、何で?だった。「た」じゃね?だった。

 

世界がどうかしてんのかと思った。「た」になったり、「2」になったり、1+1が途端に分からなくなった。まさか、1+1でつまづくとは思わなかった。

 

もっと、証明や確率、連立方程式等と言ったものに苦戦するなら分かる。

1+1だ。ヤバいなんてものじゃ済まされない。このまま1+1すら分からないまま大人になってしまったら、周りからは凍てついた目で見られ続け、その視線を浴び続けた僕はやがて石になり「1+1が分からない人間」としてどっかの寺や、神社と言った観光スポットに石像として飾られることになるだろう。

 

観光客からは、指をさされ「あれが噂の1+1が分からない人間よ~」「うける~」と爆笑され続けながら生きていく事になってしまう。石化しているため、涙も流せず言い訳もできず、やがて飽きられた僕はハンマーかなんかで壊されて人生の最後を迎えるだろう。

 

 

 

流石に、これ以上は自分の人生に異常をきたすと思った僕は友人に訪ねる。

1+1=なぜ、田んぼのたなのか、そして2なのか?

 

すると、

思った以上に友人は丁寧に説明してくれた。1+1=漢字の田だと。

だから田んぼの田なんだと。

 

 

ようやく、この答えにたどり着いた僕は想像以上に感動していた。

すげぇ!と、算数が国語になった。という訳の分からない思考回路が、頭の中を駆け巡っていった。

この時から僕は、1+1=の答えには「2」と「田んぼの田」がある事が分かった。

 

 

そして、この理論で行くと0-0=メガネと言う事も証明された。

 

 

 

 

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=の無理やり感はあるが、まぁメガネだ。

 

 

 

 

そして同時に0-0-0-1=中島という事も証明された。

 

 

 

 

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中島

もう、完全にめちゃくちゃな上に誰だか分からないので、「いその」は勝手に足させて頂いた。

 

因みにこの数式はこんりんざい一再使用されることは無く、覚えていても全く役に立たないので綺麗さっぱり忘れて頂きたい。

脳のメモリーが無駄になるので、なるべく早く頭から抹消することをおすすめする。

 

 

さて、1+1=「2」と「田んぼの田」がある事気づいた僕は、もう無敵だと思っていた。1+1=と聞かれれば、算数的に言えば「2」国語的には「田んぼの田」と言う一切の弱点が見当たらない最強の答えを見出してしまったからだ。流石にこんな事を言われた友人はぐぅの音も出まい。

 

そして、案の定バカの1つ覚えみたいに友人から「1+1は?」と質問が飛んでくる。

「2」もしくは、「田んぼの田」と答える。まぁ正確に言えば数字的には「2」文字で表すと「田んぼの田」と言ったとこかな?と心の中で軽くガッツポーズをし、自信満々の笑みをこぼす。友人がその場で膝から崩れ落ち、僕を拝みたて続けるイメージが頭に浮かぶ。

 

 

しかし友人から返ってきた答えは「はい残念~もっとでっかい1~」だった。

 

え?首を傾げ、しばらく長考するが、流石にこの僕ですら、この答は少しおかしいのでは無いかと疑問に思う部分が出てきた。大丈夫なの?これ?だった。

 

「もっとでっかい1」はちょっと無理がありそうな気がする。捻りが無さすぎる。

「田んぼの田」と聞いた時は、なぜ?と何か裏がありそうなワクワク感に興味がそそられた。何かそれらしい答えがこの中に潜んでいると。そして、その答えも素晴らしいものだった。

 

 

一方の「もっとでっかい1」は単純すぎて、全く興味がそそられない。めちゃくちゃ頭悪そうだ。

1に1を足すともっとでかい1になる。どんなに頭のいいやつが説明したとしても頭悪そうに見える。

 

これについては具体的に話し合うも、皆良く分からないという結論に至り、良く分からないまま使い続けていった。1に1を足すともっとでかい1になるんだよ!の一点押しで皆乗り切っていった。

 

まるで切り札のジョーカーの如く「2」「田んぼの田」と言われると、「ちっ切るか。」と言った形で「もっとでっかい1」が使われていった。

 

ともかく1+1=「2」「田んぼの田」の他に良く意味が表せない謎の答え「もっとでっかい1」が、突如加わってしまった。

 

 1+1=と言われると、すぐに頭の中で3択に迫られる。

 「2」「田んぼの田」「もっとでっかい1」。急に頭の中で選択コマンドが現れる。

流れから言って2か?いや、ここは冷静に「2」と「田んぼの田」を抑えていくべきか?しかし、奴には「もっとでっかい1」が控えてる。ならば、先に「もっとでっかい1」を潰すか?いや、そしたら、単に答えが「2」だった場合、そんなのも分かんないの~?と、邪悪な目で見降ろされ、ケラケラとその場で笑い転げられる。

 

 

 と、いくら頭のなかで推理しようが、絶対その答えが合う事は無い。

100%間違える問題。1+1=

 

友人同士、みんなで必死な心理戦が繰り広げられる中、一切の確定的な答えが出ない1+1=は当時の僕達にとっては、どんな積分よりも難しい問題だった。

 

 

しかし、それも一時のブームであり、時がつれるに連れて皆使わなくなっていった。

やがて、僕らは、大人になり最終的には、1+1=2だったという結果にたどり着いた。

 

少し遠回りをしてしまったが、結局は1+1=2という事が分かって僕はとても安心しました。(笑)

そして、「田んぼの田」や、いまだに謎だが「もっとでっかい1」という答えがある事を知った僕はとても視野を広く持つことが出き、もっと頭が良くなった気がします。

 

 

人生において、1+1=2は当たり前ですが、たまには見る角度を変えてみてもいいかもしれないと思います。

 

では。